HIPHOPとの出会い-その2 1994-1995 中学卒業

だいまんHIPHOP

P’PARCOのオープニングイベント

池袋のP’PARCOのオープニングイベントに行ったんだー。たまたまチラシを見つけて、面白そうだなと友達を誘って行きました。「ストリートがビルになる」とあり、ストリートに敏感だったので気になった。

P'PARCOチラシ

池袋の町中を走り回るゲームみたいなのをやった気がします。ピーダッシュだけに!

P'PARCOオープン!

P'PARCOチラシ
その時のチラシが沢山とってあって嬉しい。
夕方位に屋上でライブスタート。

P'PARCOライブスケジュール

脱線トリオTOKYO No1 SOUL SETのライブもあったんだー。全然覚えてないー。Special Secret LiveってのがSDPオザケンのライブだったと思う。こっちも残念な事にほとんど覚えてない。ただ、じゃんけん大会かくじ引きみたいなので、サイン入りポスターキャップが当たったんだー。凄くうれしかった。ポスターは部屋に貼っててぼろぼろになってしまうんだけど。。。帽子はよくかぶってたなー。今あればインスタにアップするのに。かぶってピーダッシュにも行くのに。

ピーダッシュキャップ
つーかピーダッシュの帽子っていけてたのか?

今夜はブギーバック

ライブ見てなんかいいなと思い速攻でCDを買います。「今夜はブギーバック」短冊CDが見当たらなかったのでアルバムで。たぶん弟の所にあると思う。

スチャダラ外伝

CDショップMIYAGI

MIYAGI(清瀬のCD屋さん今はない)じゃん!

ラップが面白いと思った。しゃべってるような感じが新しかった。この曲本当に名曲だよな。タメ世代みんな好きだよなー。今でも心のベスト10 第一位はこんな曲だよな。

家で聞いていると、だんだんこの曲をみんなに聞かせたいと思うようになってきました。一回聞いてもらえたらなーと、どんどん思うようになり、学校でかけて貰おう!お昼の給食の時間にとCDをこっそり持って行きます。お昼の放送のリクエストは手順を踏むルールがあったと思うけど、いきなり持って行って「これをかけて下さい」とお願いしました。名前とクラスを言ってCDを渡して出てきた。あそこで放送委員の子達、給食食べるのね。かけて貰えないかと思ったけど、無事かけてもらいました。凄く小さな音だったけど。そして、たぶん誰も聞いていなかったけど。

 

たいしたエピソードじゃないけど、これ一人でこっそりやっているからなー。なんか覚えているんだよな。みんな聞いたら絶対やばいと思うよなー「なんだこの曲やべー」「踊りたくなってきたー」とかなって、フロア(教室)が爆発すると思ってた。テロのような行為。糞ヤバい爆弾をセットした感じなんだよな。曲はメロウでちょーピースだけど「くらえー」と思ってました。

同級生誰も知らないよな。卒業間近の給食だったしな。でもCD出たばっかしだったので、清瀬の学校では初めて?かかったんじゃないかな。
SDPらへんのはよく聞いていたな。ポップな感じが分かりやすかった。海外のHIPHOPも明るめのが好きだった。ブッダブランド(高2)が出るまでは。

よく聞いていたCD

よく聞いていたCD

適当に集めてみた。海外のヒップホップCD。高校に入ってから買ったCDがほとんどだと思う。ナイス&スムースデラソウルファーサイド(写真に入れ忘れたー)ビズマーキーなんかが好きだったなー。この辺今でも大好き。

中学卒業で高校入学

高校入学の時に引っ越しをします。同じ清瀬市内の南口から北口に。親の再婚っていうか同棲?の為。本当は嫌だったと思うけどしょうがない。お母さんが決めた事に付いて行くしかなかった。正直、家が貧乏だったから引っ越せる事が嬉しかった。お金も持ってそうだったし。
引っ越しの時の会話を覚えている。音楽の話になって「ジャズが好きでよく聞いている」みたいな事を言われ、自分がその時知っていたジャズの知識で返したんだよな。「ジャミロクワイとかっすか?」ジャミロクワイはジャズとか言われてて、それ言ってんのwwアシッドジャズなのにww高橋さんが好きなのもっと昔のジャズなwwかましてやろうという気持ちで言ったのを覚えてます。

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つうか貧乏だったからな。同級生は知ってると思うけど、まぁ貧乏。わけわかんない家に住んでたしな。4年生位までぼっとん便所だったし。ぼっとんの話で書きたい事あるんだよなー。平成終わるつーのにぼっとんかい!!また今度書くね。

 

で、養育費?みたいなの貰わないで離婚したからな。よくわかんないけど。なのでお母さんめっちゃ働いていた。中学の時なんか三つ位掛け持ちして働いていた。スナックみたいな所でも働いていたし。夜ご飯みんなで食べてる記憶とかほとんどないもんな。そんな親を見てたらぐれるとか出来なかったよな。嘘。俺は気が小さいからそんな勇気がなかっただけ。でも、くすぶっている感じはあったかもな。そこにいい感じにヒップホップと出会うんだよな。夢中になれた。そうなんだよな。スポーツがめっちゃ出来たわけでもなく、勉強も普通で、モテもせず、人気があったわけでもなく、ぐれてもなく、落ちこぼれてもない。でもなにか俺は違うはず、何かあるはずと思っていたんだよな。HIPHOP知れて良かったよな。

貧乏なんて気にしない

同級生も片親の子が多かったし、団地の子もいっぱいいたしで、そこまで貧乏なんて気にならなかった。
シングルマザーファッカ上等だったよな。マジによ。

親父はいないが幸せだった、賢い母ちゃんに育ててもらった

RAMB CAMPのWait So Long のリリックなんだけど、この言葉を聞いた時本当に刺さった。

 

きゃっちの
きゃっちの

うちのお母さんは賢くはなかった?かもだけど。笑。明るかったよな

本当に大変だったと思う。育ててもらった感謝しかない。親父はいなくても幸せだった。
でも、しんどそうだったからな。だから、高橋さんと一緒に暮らすようになって、少し休めるようになり、テレビ見て笑ったり、泣いたりするようになって俺は嬉しかった。元気になって本当に嬉しかった。

次回予告!

次は高校に入ってからの事書くぜー。

 

その3!!

HIPHOPとの出会い-その3 1995-1997 いろんな文化と清瀬駅前ダンサーズ
HIPHOPとの出会い その3 いろんな文化と清瀬駅前ダンサーズ ストリートのルールは地元の街で踊りながらボコられたりしながら学んだ。

 

コメント

  1. yantakeee より:

    同時代に同じような文化に夢中になっていたので本当に懐かしい!
    次はさんぴんキャンプですか!?
    続編楽しみにしてます。

    • yantakeeeさん!!
      コメントありがとうございます。本当に嬉しいです。

      さんぴん(HACのサングラスなど)の事も、もちろん書きます。
      とても重要なイベントですもんね。
      行ってないけどー。笑。当時の気持ちを書こう思っています。