オオスミさんとあの頃のこと

oosumisanHIPHOP

オオスミさんへ

オオスミさんの事を思うとずっと悲しい。自分でもなんでこんなにショックなんだろうと思っていたけど、若くてアホくて、日本語ラップにめちゃくちゃ夢中になっていた、あの頃を思い出すからなんだなと。

 

オオスミさんの曲と18.19歳位の時の思い出が完全にリンクしている。だいぶ落ち着いてきたので超個人的な思い出をまとめて書いて行きます。「HIPHOPとの出会いシリーズ」の番外編として。

 

オオスミさんに感謝を込めて。本当に大好きです。ありがとうございました。

 

oosumisan

ブッタとシャカ

初めて知ったのはブッタブランドの人間発電所の大怪我でです。このアルバムが本当に衝撃でした。今までの日本語ラップの感覚を一気にぶち抜いたように感じました。完全に新しい流れを作っていました。これにモロ直撃し、日本語ラップにはまりまくった。

大怪我

詳しくはこの記事でも書いています。

HIPHOPとの出会い-その6 96年~ブッタの衝撃!からの~さんぴんキャンプ
ブッタブランドの登場が半端なかった

 

 

この頃の私は、高校を辞めて通信制の高校に編入。月に1.2回行けば良かったからフリーターみたいな生活だった。ヒップホップが大好きで、夜は駅前でダンスをして酒なんかも覚え始めて夜な夜な遊びまくっていた頃。まぁ1番アホでふざけまくってた頃だよね。みんなもだいたいこの頃は一緒だよね。半分大人で半分子供。今でも子供みたいなものなんだけど。将来の不安なんかよりも明日は何する?つか今からどうする?が重要だった頃。

 

ブッタとシャカにくらいまくりで日本語ラップにはまっていました。新しいかっこよさ。ここから一気に日本語ラップが爆発していきます。日本中で盛り上がり始めていたと思う。あの頃の私たちはその中に居たんだよね。清瀬だけど。私の周りでオオスミさんの事を嫌いな人は居なかったなー。みんな大好きだったよね。ふう。

 

オオスミさんのこと

ラップがまず最高だった。歌うようなラップ。オペラみたいに声を張り上げたり、変な声を出したり。リリックもやばくて、意味が分からない所もあったけどかっこいい。意味の分らなさがかっこよかった。優しい所や熱い所もしっかり感じたし。キャラクターも体型も含め一番目立ってた存在でした。

 

 

ファッションもやばかった。迷彩や蛍光色、ニット帽やウォークマンなどのBBOYの小物なんかもかっこよかった。この頃のラッパーやBBOYは全員かっこよかったけど、特にオオスミさんは目立っていました。当時、日本語ラップを聞き始めた人が一番最初に気になる存在(惹かれる)だったと思います。

SHAKKAZOMBIE

 

ファッションや体形(すみません。)で一見怖そうなんだけど、なんかニコニコしていて優しそうだった。当時交流があったアーティストのみなさんが言われているように本当に良い人だったと思います。(みなさんのコメントほぼ全部読んでいます。涙)自分があの頃一番好きだったラッパーが亡くなってしまった。

 

 

なんかすごく近く感じています。お世話になった先輩が、、、みたいな感じなんだよな。かっこよくて優しかった先輩が、みたいな。いや勝手な印象なんだけど。一回もお会いした事もなく、たぶんライブも一回も見ていません。それなのにだよ。こんな悲しくなるなんて。あああ。本当に悲しいな。ああいう良い人こそ長生きしてほしいよな。

 

人間いつかは死んでしまうのは分かっているけど47歳よ。私の5こ上。私もそろそろっていうか、いつそうなってもいい歳なんだよな。気を付けていても病気にはなってしまう。事故も普通にあるし。もうしょうがないよな。だから少しでも良い事をして生きていきたいよな。私は生まれ変わりを信じているので、現世で徳を沢山積むと早く生まれ変わりが出来ると思っています。なのでオオスミさんはだいぶ早く新しい人生が始まると思っています。少しゆっくりしたら、また最高な人生が始まると思っています。

SHAKKAZOMBIE

 

ただ歳が近い事で思ったのが、もし私も長生きしていて70歳くらいの頃にスーパー銭湯とかでお会いしたら楽しかったかもなーと。普通にいっぱい話せたかもなーと。「ラー油より辛い」ってどういう事なのとか聞いてみたかった。あともう一つ本当に生意気なんだけど、、、笑わしたかったなー。めっちゃギャグとか面白い事を言って。あのニコニコを生で見たかったなー。やっぱり寂しいね。

 

最近は洋服のブランドをやっていてデザイナーとしてがんがんだったのも知っています。入院中も新しいデザインを作っていたんだってね。はぁ。

 

好きな曲

だいたいの知った順番で。

BUDDHA BRAND / 人間発電所

「人間発電所」の「大怪我」まじで強烈だった。オオスミさんパートのやばさ。このアルバムはもうね。

SHAKKAZOMBIE / SHAKKATTACK

「SHAKKATTACK」シャカゾンビを知ってすぐに買ったと思います。ジャケやアートワーク(ボーリング!)がイケてた。不思議な魅力があった。

Street Flava Presents… Double Impact EP.

「DOUBLE IMPACT E.P.」の「百万光年のやさしさが注がれる限り」大好きなアルバム。全部好き。オオスミさんこんなテイストもいけるのねと思った。私のベストはこの曲かもな。リリックが熱くて優しくてとても好き。今でも余裕で聞ける。「俺は 今日も過去を再生」そんな気持ちで今書いているよ涙。「空は青い 俺達は強い」

 

シャカのアルバムやフューチャ曲も後追いで聞いたけど、やっぱり当時聞いてたこの辺のが好きです。

いろいろ

「COOL SPOON / ELEGANT GIRL’S THINKING」や「脱線3 / XXX JAPAN」のバース大好き。ほぼシャウトだけだけど「ECD / SUMMER MADNESS~LIVE AT SLITS」とかね。今回あらためて聞いたけど、ECDさんの事もありなんかすごいきたわ。さいご「したらまた!」だったよ。くー。

 

90年代後半、自分はヒップホップから少し離れてメロコア系を聞いていました。シャカもメロコアやロック系のグループとコラボしていたよね。何かのコメントで「ヒップホップもパンクも一緒」みたいな発言を読んで、だよねーこの頃熱かったもんねーと。ヒップホップも熱かったけど、熱やエネルギーや盛り上がりはメロコアの方があったと思っています。FINEかなんかのAIRJAMのレポートにECDさんが遊びに来ていて(上半身裸でタトューが入っていた!)だよねーみたいな印象があります。最近はテクノ系の方達とも交流があったと思います。DEXPISTOLSとかね。音楽の趣味や流れが近いと嬉しくなる。勝手に思っていますが「俺も一緒だったよ!」と。なんか全部のセンスが良かったよね。

 

超個人的な思い出

こっから超個人的な話。曲にしっかりこびりついているあの頃の思い出よ。

 

まずは「大怪我」まじで半端なかったよな。この曲の衝撃は。パーティーラップだしトラックもやばいしで、リリックもハーコーさがあってユーモアもあった。最高だった。

ケイドウミャクでみんなで歌っていたのを思い出す。輪になってカラオケみたいに騒いでいた。ラップが怪しい所もバイブスで埋めてさ。オオスミさんのパート誰行く?みたいな顔をみんなでして、結局みんなで歌うみたいなw。よく覚えているこの光景。酔いもあり若さもあったから本気で歌ってたな。

「今 野生の天国から来たぜ」の後「来たぜー」とレスポンスするクセが付いていて何で?と思ったけど、リミックス(輸血MIX)でオオスミさんがやっていたのを真似していただけだった。「水玉がライン 変わるのがサイン」ここターンテーブルのレコードの横の所のってコメントを前見た。ここの意味とか聞きたいよな。「君もこの世の誰もかれも さあ強くなると誓えよ」優しい。優しいから大好き。

SHAKKAZOMBIE

SHAKKATTACK」一番書きたかった話。訳が分からないと思うけどかますぜ。

ダンス後だらだら○○君家の前にたまってて、なんかノリでドライブに行くことになった。その車が軽トラックで荷台の所に2.3人乗って行く事に、ってこれ夢の話ね。

深夜だったから人も車も少ない。ほとんど誰も居ない町をドライブ。行くあてもないドライブ。車が来たら「やべ、隠れろ」って寝そべってさ。バレバレなのにね。夢の話ね。ダンスの後だったからラジカセを持っていて、そこで流していたのがこのアルバム。すごく覚えている。曲の感じも異様だし(少しワクワク感もあるよね)、自分達の行動もおかしいしで焼き付いている。あの梅園の所の道ね。木が道沿いに沢山あって寝そべって夜空を見ているシーン。風をちょくに感じて、月の光、街灯の光なんかをこの曲と一緒に。「白い月 手が届きそうで コナゴナの明日もセメダインで復活」あああ。この事を強烈に思い出しました。

SHAKKAZOMBIE

 

あと、マイメンと「竜宮ヤバいよね、行ってみたいよなー」とかも話したな。本当にいろいろ思い出して悲しかったな。

 

ありがとうございました

自分の気持ちを残したいと思い、感謝込めて書きました。

作品は永遠だと思うけど、俺達の気持ちも永遠にしような。思い出を永遠に。永遠にやさしさが注がれる限り。

 

 

コメント